2023.03.09
福島県相馬市にある潟湖・松川浦は、アオノリ(ヒトエグサ)の名産地だ。冬から春にかけ、海面には青々としたノリ棚が広がる。松川浦のアオノリは香りや食感が良く、地元では、佃煮や天ぷら、酢の物など、様々な調理法で親しまれている。
福島県相馬市にある潟湖・松川浦は、アオノリ(ヒトエグサ)の名産地だ。冬から春にかけ、海面には青々としたノリ棚が広がる。松川浦のアオノリは香りや食感が良く、地元では、佃煮や天ぷら、酢の物など、様々な調理法で親しまれている。
収穫に向けて動き出すのは、9月上旬。天気の良い日を狙い、松川浦に数百枚の網を張る。網に種付けされたアオノリが育ち、収穫できるようになるまで3~4か月。漁は、例年12~4月に行われる。漁に出るのは、風のない早朝。満潮のタイミングを狙うという。
松川浦は、東北で唯一、アオノリ漁が行われている場所だ。ここで収穫されたアオノリには、どんな魅力があるのだろうか。また、地元ではどのように活用されているのか。佃煮や乾燥ノリなど加工品を手掛ける「おびすや」「株式会社サンエイ海苔」で話を聞いた。
おびすやは、松川浦沿いにある佃煮の加工・販売店だ。かつては60年以上続く民宿を経営していたが、東日本大震災で被災。建物が全壊したため、民宿は廃業を余儀なくされた。久田則雄さん・幸枝さん夫妻はしばらく別の仕事に就いていたが、ある時期からふたりのもとに「あの佃煮をまた食べたい」という声が届きはじめる。
「あの佃煮」とは、民宿で出していた小鉢の一品料理だ。則雄さんの母が調理したアオノリの佃煮で、宿泊客に大人気だったという。お客さんからの「お土産で買いたい」という声から商品化し、以前は民宿のほか、直売センターや地元スーパーでも販売していた。ファンの多い人気商品だったが、震災を機に製造・販売はストップ。さらに、則夫さんの母が亡くなってしまったため、1度は“幻の味”となった。
震災から10年が経とうとしたころ、佃煮の復活を求める声が大きくなる。「あの味を忘れられない」と、かつてのラベルを持ってスーパーを探し回ったという話も飛び込んできた。「食べたいと言ってくれる人がいるなら作ってあげたい」という思いがふたりを後押しし、仕事の合間を縫って試作を繰り返した。
“母の味”を思い出しながら試行錯誤した末、完成したのが「おびすやの青のり佃煮」だ。
「おびすやの青のり佃煮」は、すべての工程を手作業で行う。機械を使うと、具材のゴボウ・ニンジン・イカ、そしてアオノリの食感がなくなってしまうからだ。則雄さんいわく、「煮込めば煮込むほど深い味になる」。
県のECサイトに商品を登録したところ、北海道から沖縄まで全国から注文が入った。想定以上の反響に、ふたりも驚いたという。「食卓に出すとすぐ無くなっちゃう」「親戚や友達に配りたい」など、たくさんの声が届いた。
また、ある日「お土産で佃煮をもらった」という宮城県の方から電話が入った。その方によると、病気で食が細くなってしまった母に、どうしたら食事をしてもらえるか悩んでいたという。ところが、おびすやの佃煮を食べ、それがきっかけで食欲が戻ったのだという。幸枝さんは、「佃煮が誰かのためになったんだと実感できて、嬉しかった」と振り返る。
「おびすやの青のり佃煮」が人気となった背景には、久田夫妻の息子とその友人、そして地元デザイナーの3人の協力がある。完成直後は販路が少なくあまり売れなかったが、息子ら3人が毎日のように遅くまで話し合いを重ね、容器やデザインコンセプトを刷新し、浜の駅にも販路を広げた。久田夫妻の「若い人の考えを取り入れながら」という考え方が、「おびすやの青のり佃煮」ブランドの構築に繋がった。
則雄さんは、松川浦のアオノリについて「味も香りも良いし、美味しい。さらに体にも良い」と語る。息子たちの力を借りながら、「おびすやの青のり佃煮」はネット販売も開始した。これから更にファンを増やしていくであろうアオノリの佃煮に、注目を。
松川浦のアオノリには、海外進出を目指す動きもある。これについて話を聞くべく、株式会社サンエイ海苔・立谷甲一さんの元を訪ねた。
株式会社サンエイ海苔は、1947年創業の老舗企業だ。韓国ノリを日本に広めたことでも知られている。ノリ製品を中心に様々な商品を製造・販売しており、中でも主力となっているのが松川浦産のアオノリを乾燥させた「松川浦産 あおさ」だ。
立谷さんによると、松川浦のアオノリは「ほかにはない豊かな香り」が魅力。乾燥させると、さらに香りがギュッと凝縮されるという。また、乾燥することで長期保存ができ、利便性も高い。味噌汁など和食に使われることが多いが、パスタやピザの具材にしても美味しい。ラーメンに入れて食べると「ラーメンの濃厚な味に負けないくらいアオノリの香りがあってびっくりした」と立谷さん。
立谷さんは、香りが強い松川浦の乾燥アオノリを海外に輸出する計画を進めている。日本食は世界的に人気が高く、すでにクロノリは知られているが、「世界ではまだアオノリに似た海藻は食べられていないのではないか」と、海外での知名度の低さと香りのインパクトに勝機を見出した。 また、立谷さんがアメリカの大学院を出ており、長年海外に目を向けていたことも背景のひとつだ。震災時、立谷さんはアメリカにおり、中継で地元の様子を見ていたという。当時は遠くからもどかしく「見ていることしかできなかった」。帰国後に地元で働き始めてからは、常に“海外進出”が頭にあった。ただ、そのハードルは想像以上に高かったそう。国際的に認められた規格を取得し、安心・安全な商品であることを徹底。ようやく、2022年から輸出への第一歩を踏み出した。
最初に狙うのは、日本と同様ノリを食べる文化があるアジア圏。新しい日本食を探しているバイヤーや、現地のシェフにも試食をしてもらっている。結果、数か国から強い興味が寄せられているという。特に評価が高いのは、アオノリ特有の豊かな香り。そして、常温で日持ちすることも高い評価を得ている。「我々が考えている“この料理に合いそう”というアイディアを超えて、現地で新しい価値が生まれることを期待している」と立谷さん。サンエイ海苔が長年かけて培った技術が、海外展開においてダイレクトな強みとなっている。
立谷さんは、「松川浦で育ったアオサは相馬の誇り」と断言する。それを日本全国、そして世界に広げていくことは、サンエイ海苔のみならず地元全体の盛り上げに繋がる。アメリカで培ったコミュニケーション力や広い視野も活かし、地元の誇りを広めていきたいと力強く語った。